「アメリカン・スナイパー」

劇場公開日2015年2月21日





クリス・カイル氏が亡くなって2年。という現実がごく最近の出来事であったとしても、このテーマを取り扱うのは若干出遅れ感はある。
そう、肌触りは違えど、「フルメタル・ジャケット」に思った、出遅れ感を感じる。

出遅れ感が映画のデキを決めることは決してないとは思っているが、「いまさら」「いいとこどり」と感じる場合はやはりそれだけ損をしている。

本作、「ハートロッカー」をプロパガンダと言っている、ものすごーーーく勘違いをしている観客のために、わざわざ分かりやすく、一方「ローンサバイバー」というこれこそ、まさしく、ザ・プロパガンダ映画を、反戦映画と勘違いしている観客のために、着地点はオレらおなじみの「ランボー」という、より分かりやすい「ヒーロー映画の皮をかぶったアンチヒーロー反戦映画」。

題材が真摯なのに出遅れ感を感じるのは、すでに「ハートロッカー」という、これより先に一人の男にまじめに向き合った反戦映画の決定版が出ているからだ。

そのうえ、実話をもとに、他の娯楽作のおそらく「いいところどり」した感がさらにずるさを感じる。無音のエンドロールなど、やりすぎ。

イーストウッド監督のアクション映画にはオレは昔から興味がない。実際、本作もアクション的なシーンは妙に娯楽よりなくせに、絵自体は本当に単調である。敵対するスナイパーとのやり取りは、明らかに娯楽よりだが、なんとも絵も緊迫感もなく退屈。また銃撃戦真っ最中に電話するシーンなんて、要るか??

最悪なのはクライマックス。いくらなんでも描き方がバカすぎる。特に射撃後の逃亡劇。帰国後の描写もあまりに分かりやすく描き過ぎ。実話だといっても、こりゃいくらなんでも。

むしろ、主人公のちょっくら行ってくるぜ感のほうがとても悲しく、恐ろしい。銃を握ることでの心の平穏は悲しいことだ。戦争は悲劇だ。

それでも彼は、彼にしかできないことを、彼が実践できているという絶対的な事実。それはだれも決して否定できない。

それゆえの心の崩壊が、彼自身でなく、むしろ救った者たちからより如実に表れることの恐ろしさ。その点はまさしく傑作反戦映画「ハートロッカー」の先に行く映画であることは違いないし、その着地点は我々はすでに「ランボー」という傑作でも経験している。

それゆえ、本作の出遅れ感といいところどり感が、拭えない。


追記
赤ちゃん問題

どうでもいいじゃん。

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