ミスター・ノーバディ
劇場公開日 2011年4月30日


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以下、本作鑑賞時2012年2月23日のものです。



インターネットで映画情報を入手したり、人様のレビューをたくさん見る機会があるってことは地方の人間にとってはうれしい限り。欲をいうと映画館で見たかった2011年公開の映画といえば、これ。「トランスフォーマー ダークサイド・ムーン」を11年のベストにしたのは、オレに十分な理由があったわけなのだが、これを見ていたらそれとは別の理由でベストにしたであろう本作。







「ミスター・ノーバディ」




ミスター・ノーバディ [ ジャレッド・レト ]

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「トランスフォーマー ダークサイド・ムーン」は映画館で見ないと意味が全くないどころか、テレビ画面でみると全くゴミな映画。本作は映画館で観たら、もっとその世界に吸い込まれただろうと想像できる映画。



オープニングのニワトリからもうヤラれてしまった。



そしてその後の映像と凝った編集、そして何より、その凝った編集に違和感無く存在する役者たちの演じ分けの凄さ。バタフライ・エフェクトな世界観に酔うのもよいが、ジャレッド・レトのすごい役者っぷりに酔いたい。

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目が離せない映画とはまさにコレ。しかもそれはとても居心地のいい2時間30分。だけどパラレル・ワールドと見るときっと退屈するので、注意。

ポイントは子供の妄想とじじいの振り返りが混在していることだが、じじいの振り返りはほぼ無視してかまわないと思う。ガキの妄想がメインなんだが、どのパートにも実は直接関わらないでもアンナが存在しており、ここはじじいの思いが強く介入しているんだと思う。

しかしオレはじじいの世界も子供の妄想だと思っている。

「選択しなければ可能性は無限だ」

じじいが死んで、宇宙の時間が逆戻りするのは、その可能性の極端なのだろう。しかしそんな可能性は実際のオレたちにとっては、有り得ない可能性。道の無い道は選べない。待ってくれている人のいるほう以外なんて選べない。

オレは無限の可能性を追うのでなく、決して選ぶことの出来ないことにはなっていないことをこの映画で実感している。



そしてこれはオレがいつでもこの映画をみると、オレは「選択できる」ことを思い出させてくれる映画となった。


決して若くはない。でも「選択」できることを認識しよう。

そしてそれが大なり小なり他への影響があることも。主人公ニモの行く先々の女性は皆泣いていた。

「選択し実行すること」は「責任」を伴うんだね。当たり前だけど。

だから、だから選択し実行しよう。


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追記

こんなレビューにも責任はあるのかもしれないが、まあ、そんな難しく考えなくとも、生涯気楽に付き合える映画に出会ったことに感謝。

気楽に観れる、というのがこの映画の強み、と思ってもいるしね。




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