しんざんの、みんな仲良し映画評!!

ほんとうは仲良しとは程遠い、あまのじゃくな映画評、映画批評、映画評論ブログ 全部ネタバレ。またあまのじゃくゆえ、人によってはまったく受け付けないものもあるよ。もちろん、こっそりオススメもあるよ。

ラブストーリー、とかそんな感じの

「ゴーン・ガール」 あなたは心配しなくていい

「ゴーン・ガール」
劇場公開日2014年12月12日

201508042


この映画を見て、「男は震える」とか「女のこわさ」とかのたまう御仁がいらっしゃるようだが、全く心配しなくていい。


本作は

「あなたの人生にはまず起こりようがないファンタジー」

だからだ。

あなたはベン・アフレックではないし、あなたの隣にいやいや寝ている生き物や空想の嫁は、ロザムンド・パイクではないからだ。

本作は、「惚れたモン負け」を描いた作品。

ニックに惚れてしまったエイミーのもがきあがいたお話。主人公はニックでなく、エイミー。

ニックを演じたベン・アフレックの説得力がすさまじい。

華々しい脚本家としてスタートし、華やかな役者人生、セクスイーアクターとしての地位を確立したかと思えば、公私混合のデレデレから一気に転落、そこからの監督としての奮起、今では、ケツ顎とは呼ぶに呼べない映画人でもある。

本作でもケツ顎を隠してエセ誠意を見せる男前を演じる。

ニックは売れっ子美人ライターをたらしこんで妻にし、もともと才能のなかったライター職から退き、妻の名義で田舎に家を持ち、20代前半の学生を愛人にし、妹とも怪しい関係を見せる。女刑事にも、本当にぎりぎりまで心情的に味方になってもらえている。

世の中、惚れたモン負け、だから、周りの女は結局ニックの言うとおりに動く。

君にできるかい?無理だろう?だから君の話ではないし、震えるだけ無駄なのだよ。勘違いもはなはだしい。

そんなニックにエイミーは全身全霊でニックに対抗するしかないのだ。しかしその時点でエイミーはエイミーたるアイデンティティを失っていることに気付かないといけない。

それを象徴しているのが、エイミーのニックへの復讐計画。
謎解きや根回し、下ごしらえなど、冷静に考えれば、実に「くだらない」、「ガール」なイタズラ。

潜伏ライフもみるも無残だ。自分で顔を傷つけ、顔を隠すことに無心するが、バレバレで、金もぶんどられる。負の精神を引きずっているのだ。当たり前の話だ。

しかし、エイミーは高校時代のストーカーに再会することで、「惚れ「られたもん」勝ち」のポジションを得る。その取り戻した美しさを見よ。

ここの経緯に本作の魅力が凝縮されている。


ところが、エイミーはニックのTVインタビューの達者な演技をみて。。。

血みどろの再会がなんとも妖艶だが、ニックの第一声は耳元で

F**k you,Bitch

どこまでもニックは強い。

「どうにかしてえへ、きみのなか、ああ、はいいっていいてえ」
とはB’zの名曲だが、本作はめんどくせえから、脳みそ見せろや、という。

201508044



ここで終わってればいいものを、後半の蛇足感がはなはだしく、そこは大きくマイナス。

追記

gone girl

gone
失踪した、死んだ、逝っちまった、そして、「自己を見失った」。
girl
自己を見失った、恋まっしぐらお嬢ちゃん」といったところだろうか

また
「自己を取り戻し、ニックのもとに戻るエイミーのなかの「girl」は「gone」。」の意味もあろう。


猫まっしぐらなカリカリも出るよ!

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「(500)日のサマー」 18歳未満(だと思う人)禁止

「(500)日のサマー」

劇場公開日2010年1月9日
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この映画、時系列をあっちゃこっちゃばらばらに並べてるんだけど、効果は特にない。男と女っていつだって喧嘩もするし、べたべたする。


でもきっと、チャプターで一生懸命時系列で追う人がいるんだろうな。ご苦労様です。

それはさておき、この映画の好きなところは、運命も偶然も答えを出していないところ。後悔することが決してふられた男にとって、先の糧になると決して言っていないところがリアル。

しかし、悲しいことに、男はたいがい後悔を糧にしようとするんだけどな。


だけど、サマーとの関係以外は、恋に破れて、落ち込み、やがて奮起して幸せを掴む、みたいな、おいおいなんじゃそりゃ、なファンタジーなお話。

どうせなら、会社を辞め、建設会社に入ったあと、振られるほうがリアリティあり、楽しいのにな。


社会人で、恋愛妄想に浸る主人公はどうかと思うが、精神年齢18歳未満だと思えばいい。しかし多くのレビュアーさんが言っているように、あーあの時オレもそうだった、って振りかえって楽しむ映画なので、主人公のような人は、サマーのような子に恋してしまったら、ヤレても、自分がハンソロに見えたり、踊ってはいけない。とにかく技を磨こうな。

これ以上書くと、恋愛マスターかと知人に笑われるので、やめとく。

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「アバウト・タイム 愛おしい時間について」 なんでもないようなことがぁ♪

「アバウト・タイム 愛おしい時間について」
劇場公開日2014年9月27日

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THE虎舞〇のほうが先にこの映画のテーマを先んじていることにほんのちょっと日本人として誇らしく。


本作、途中で何気なく、結構重要なことに気付く。

「この映画、タイムトラベル設定、要るかぁ?」

果たして主人公のタイムトラベル能力が彼の人生を変えただろうか?

最初の彼女との出会いブラインド・デート喫茶?みたいな、は、まず相手が見えない、けど話は盛り上がった、実際会ってみると、想像以上にかわいく、彼女のほうも、こっちの印象はまんざらでもない。すべてはここからスタートしている。これ以上ない劇的な出会いなのだ。

決定的に勘違いしている人がいるが、そもそも彼は非モテではない。

トラベル家系で当たり前だが、優秀な家系の、タイムトラベル能力に頼ってではない弁護士になれた頭脳、長身、英国ルックも決まっている。トラベル能力の後押しか、妙であれ、度胸もある。

最初の初恋の相手が合わないだけだったのだ(後でそれもひっくり返されるが)

ちょっと考えれば、過去に戻らなくても、ケイト・モス展にいけば、彼女に会えるし、彼のルックスとキャリア、誠実さなら、軽めの彼氏から彼女をぶんどることも可能なのだ。

初めての夜を繰り返すことで、性的相性を良くしたわけでもないしね。(実際は同じ熱意で何回もイケないが、その分、時間と体力とベットから転げ落ちるぐらいのアクロバティックな行為になるのは同意でニヤリ。)

妹の件も結局事故は避けられず、彼女自身の改心をもって、彼女の生き方を変えるきっかけになっただけだ。

注目すべきは、戻ってもよかろうときに戻っていない点。

結婚パーティの大嵐。日程を変えたり、場所を変えたりして、やり直すこともできる。だがそれはしない。本当に楽しいときは、ちょっとした災難も、楽しい思い出になる。ということだ。

また同じことを繰り返しても、決して満足はしない。新たな生命、新たな時間を優先する。

何でもないようなことがぁ、の歌詞通り、毎日を生きることで明日がある。まずはここがこの映画のポイントの一つ。

ずいぶん回りくどい映画だが、そもそもこの家族、他人はものすごーくうらやむだろう程に超幸せなんだから、どうしてこの家族を設定にしたのかが、この映画のもう一つのポイントだろう。

それはやっぱりタイムトラベルで幸せになってはいけない、ということだろう。

え、訳が分からない?

タイムトラベルが幸せにしてくれたんじゃあない。自分の努力が、隣の妻の励ましが、妹の兄を思うやさしさが、家族を幸せにしてくれるのだ、と主人公は知っている。幸せ絶頂の時は、タイムトラベルはしないが、父との別れという最大の不幸もタイムトラベルでは結局解決してくれない、ということに第3子の選択とともに気づくのだ。

だが、その帰着点も、

「いやいや、さんざんタイムトラベルして、父との時間をさんざん満喫したでしょ?」

と突っ込めば、それはそれで、なんて贅沢な幸福家族なんだ、ということにもなるので、その点は苦笑するしかないんだけどね。

追記1

ABOUT TIME
「時間について」「そろそろ時間」
そろそろ、、、うーん、深いなあ

追記2

The Luckiest /Ben Folds

And where was I before the day
That I first saw your lovely face?
Now I see it everyday
And I know
 That I am I am I am The luckiest

この映画に感動する人は、自分も幸せなのだ、と認識するから感動するのだと思う。そういう意味では「愛おしい」な作品だと思う。



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「百円の恋」 自信と挫折の繰り返しこそ人生の機微だと謳ってるはずなのになあ

「百円の恋」

果たしてこのタイトルが、この映画の着地点にふさわしいかはちょっと、という気もするが、登場人物は確かにみんな百円。

引きこもりの一子は家の中では堂々と引きこもっている、まさに暴君。でもとっても恐ろしい姉妹喧嘩の果て、家を出ることになるが、待ち受けるは、一子以上に頭がおかしい世界だった。

序盤の家族崩壊と、コンビニのキツイやつら、それに安藤のもう生理的に気持ち悪いルックスに吐き気をもよおすこと必至。しかも画面画面の情報量が、吉田恵輔監督作のように、みっちりとつまっているため、画面からの圧力がすごい。

安藤扮する一子のキモいルックスが、申し訳ないがこっちが本気でパンチ食らわせたくなるほどで、堕ちていく姿に「当たり前じゃ、ボケ」というのと、「ああ、もう見たくない」の両ばさみが結構キツイ。特に動物園デートとかがかなりやばい。


あ~、パンチくらわしてえ
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この前半は作り手の良心を疑う、というか、正直、あんまり露骨に描いてほしくないなあ、と思った。現実は夢も希望もない、という代表のコンビニババアの描き方とか、もうちょっとオブラートできなかったものか、とも思う。

この映画、ここからの奮起、となるわけだが、一子のボクシング技術の成長過程と、その性格の変化は確かに気持ちいいものがある。特に一子のダンスにも似た、美しいシャドーボクシングシーンや、初試合の入場までの「自信に満ちた」長回しスローモーションは、感動すら覚える。

20150625-3



しかし、だ。

相手の圧倒的な強さに、その美しさを持ち合わせた動きと満ち満ちた自信はもろくも崩れ去る。開始早々、足はバタバタになり、ガードは下がり、クリンチのみに終始する。

この「強者を目の当たりにしたときの、あっという間の人格の後退と自信の崩壊」こそがこの映画のキモ。

一子は勝ってはいけないのだ。

強者こそ人生、他ならないからだ。

もっと言うと、ワンパンチすら当てることも出来ないのでいいのだ。

その頑張りは、ダメ元カレのほんのちょっとの前進を促す。それだけでいいのだ。

「悔しい」という一子の思い、「頑張るやつを応援するすることが出来た」彼氏の思い。それが二人にとっての「現時点での幸せ」をかみしめる瞬間だからだ。

ファイトシーンのスローモーションは、バカじゃねえか?と。映画の価値を一気に押し下げる愚行。

ぎりっぎり土壇場で評価は下げざるを得ないのは、うーん。

「悔しい」

追記

コンビニババアとか、神経を病んだ店長とか、32歳の処女への暴行とか、の凄惨なエピソードと、一方の、自分で髪を切るとかのなんだそれ?の演出や、全編にわたっての、しょうもない小ネタとかが、逆に作り手の「自信の表れ」と「自信のなさ」が表裏一体化している、とも見える。

そういう意味では、うーん、人生だなあ、ってちょっと思った。

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「her 世界でひとつの彼女」 満員電車で立ったままゲームとかするのやめれや

「her 世界でひとつの彼女」
劇場公開日2014年6月28日
20150722

コンピュータに恋をする、とかは全く新しいものではなく、むしろ、満員電車で、命の危険を顧みず、右手にスマホ、左手に〇〇、な気持ち悪い現実を毎日見せつけられているだけに、

「いやいや、近未来違うでしょ?」

という前提から先ず臨むことになる本作の鑑賞。

世間の観方に逆らったわけではないが、吹き替えで鑑賞。まあ、あとで、原語で鑑賞しなおしたのだが、吹き替えの素晴らしさにかなりびっくりした。ヨハンソンのほうは、人間味、という狙いとは別に、ただ吹き替えのほうが人間味かつ機械的音声らしさのちょうどど真ん中に決まってたという印象が強い。本作の吹き替え版の本気度をここに見た。

さて、セオドアだが、彼の職業が代筆、ということから、書く言葉は人の心を打つモノだが、面と向かっては、うまく言葉が出ない、というコミュ障、という定番なキャラクターかと思えば、そうでもないように見える。

一方、近未来という設定と、彼の身近な人物が、彼のOSとの恋、そのはしゃぎっぷりが、き〇〇〇に周りからは見えていない。

そう、実は周りもみんな同じなのだ。

実際、電車の中にもいますが
201507281

唯一違うのは、別れた妻。別れた妻がどうも悪役のような、身勝手な見え方だが、そうではない。

彼女のみがいわゆる、「まとも」で、その他がみんなコミュ障、という。

そりゃ、こういう顔をするわ
201507282

この物語は表面的には、OSに恋した男の悲喜劇に見えるかもしれないが、
そうではなくて、別れた妻とのコミュニケーションの回復に結び付ける物語。OSが彼の成功の一手伝いとか、女友達とのぬるい締めとか、全体的に甘ったるいのだが、それはあくまで映画的なイベントであって、本筋ではない。

しかし、OSが急に消えたなら、利用者の数からして、もっと世間がパニックになったりするはずなんだが、そういう描写はないのは、まあ、映画のセオドア個人まわりの生活圏内のお話という世界観を崩したくないからなのだろうが、このOSの存在がやや中途半端な印象があるにはある。

まあ、そこはたとえヨハンソンの人間的な声を使ったとしても、「本当の意味」で、OSにリアリティを持たせたくない、ということなのだろう。

100%自分のことを理解してくれている存在が消えてしまったとき、セオドアは気づく。

ラスト、セオドアは誰かの言葉ではなく、代筆ではなく、自分のことばで、別れた妻キャサリンへ、謝罪と愛の言葉を送るのだ。

「大人」としてのコミュニケーション回復。

この映画のキモはここにある。

追記

ぎゅうぎゅうの満員電車でスマホが使えなかったらどうする?決まっているよね、みんな、周りにぶつからない様、迷惑をかけないよう、足元や荷物周りを気にするよね。本作はそういうことも教えてくれている。

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